MATHOM-HOUSE presented by いもたこ

気になったことを色々と。ジャンルも色々。

祈る人

今日の14時、私は秋葉原歩行者天国の真ん中を歩いていた。

 

目の前に、語弊を覚悟で言うと、いかにも秋葉原っぽい男性が歩いていた。中肉中背の30代の男性で、大きなリュックを背負い、戦利品が詰まっているらしい大きな紙袋を大事そうに抱えている。

どうもまだ買い足りないらしく、次の店を目指して歩いていたのだが――突然歩みを止めて、その紙袋を地面に置くと、静かに手を合わせて、祈った。

 

――はっとして、スマートフォンを見ると、時刻は14時46分を指していた。

 

男性はというと、黙祷を済ませると、何事もなかったかのようにまた歩き出した――。

 

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今週のお題「受験」

今週のお題「受験」

 

受験は2回、高校と大学で経験している。

結果論から言うと学校選びで間違えたと後悔したことはほぼ無いので、受験生としての私は成功したといえるのかもしれないが、実は2回とも受けた中で一番低いランクの学校にしか合格しなかった。そういう意味では、失敗したとも言える。

ちなみに就活は70連敗し、しかも唯一内定をもらった会社も1年で辞めているので、それに比べればいかばかりかマシだろう。

 

「自分の単純な努力で勝負できるのは受験まで」というのを大学受験の時に先生に言われたが、そもそもの財力や意識などといった部分を除けば、確かに受験(特に内申点が問われない大学受験の一般入試)は、「単純な努力」の勝負になる。

だが、今受験をしようとしている人、特に大学受験を考えている人に伝えたいのは、「選択することを学んでほしい」という点である。

 

仮に私の偏差値が80あって、日本中どの大学のどの学部学科でも行ける学力とお金があっても、私は医学部には絶対に行けない。血を見ると気分が悪くなる体質だからだ*1

これはもう本当に極端な例だが、学部学科の選択や立地の選択、あるいは特に私学なら建学の精神などもきちんと選ばなくてはいけない。ただ、これはブランド力(MARCHとか関関同立とか早慶上智とかそういうの)を無視しろと言っているわけではなくて、例えば「早稲田と慶応なら自分はどっちが向いているだろう?」と考えてほしい、という話である。

例えば、私の母校は宗教系(いわゆる新宗教系ではない)だったが、そうと知らず入学した知り合いの洗礼済みクリスチャンは、日々なんとなく漂う宗教感がつらいと言っていた。

 

選択することは難しい。もしかしたら、勉強することより難しいかもしれない。

東西冷戦の時代に生まれた母は幼い頃、自分で将来のことを選択しないでいいという理由で、ソ連に生まれたかったと思っていたらしいが、分からないでもない。

しかし、人生の大事な時期に選択したから、今の私がいるのだと思っている。先述の通り、私は大失敗して、仕事を1年で変えている。第二新卒と持てはやされるとはいえ、ほとんどの場合、キャリアのない若手の転職は、前職より待遇が悪くなるのが普通だし、私もそれを覚悟したが、結果から言えば、いくつかのことを覚悟して道を選んだ結果、

私は今、前職より高い給料、良い待遇で働いている(会社の規模も20倍ぐらい)。これも選択の賜物だろう。

 

「正しい選択をしろ」なんて言うつもりはない。

高校受験の時は、自分では納得していたが、周囲には「こんな禄でもない高校を受けるなんて」と言われた。しかし蓋を開けてみれば悪い学校ではなかった。

大学受験の時は、10校ぐらい全滅して、自分も周囲も正気ではないとしか言いようがない選択をしたが、人生最高の4年間だった。

新卒での就活の時は、実は1社めに受けた会社に内定しており、伝統ある企業だったので、自分も周囲も納得していたが、しなくて良い経験を大量にさせられ、身も心も擦り切れて、逃げるように会社を辞めた。

その後の転職は、これまた大苦戦を覚悟したし、やはり周囲には苦言を呈されたりもしたが、運も味方になったのか、今のところ大きな後悔はしていない。

 

どうか良い選択をしてほしい。そう思うばかりである。

*1:ちなみに私はこの体質が原因で、小学校の時に抱いていた養護教諭になるという夢を諦めた。

今週のお題「体調管理、どうしてる?」

今週のお題「体調管理」

 

体調管理というと、私の苦手なことランキングの栄えある第一位かもしれない。

だいたい、修羅場を気合で乗り切った後、1ヶ月程使い物にならなくなる……みたいな生活をもう何年もしているので、大変よろしくない。よろしくないのだが、最近気づいたことがある。

 

――体調不良の"前兆"がわかるようになったのだ。

 

きっかけは持病のようになっていた麦粒腫だった。

麦粒腫というのはいわゆるものもらいのことなのだが、「ものもらい」と言うとなんだかすごく下らないこと*1のように思われてしまうことが多かったので、わざと漢語を使っている。

昔はよく眼科に通っていたのだが、今はなんとなくその前兆である"腫れぼったい感じ"がわかるようになってきたので、早いうちに市販の抗菌目薬を使って対処できている。

 

あと、風邪のひきはじめにはだいたい左耳の奥がかゆくなるし、ひどく疲弊している時は(本当は近眼なのに)遠視の症状が出る*2。そういうふうに経験則を重ね、「予防」より「早期対処」を心がけている。

 

こういった"前兆"を見抜くために私は日々記録をつけている。それこそ時間の無駄だと思われるかもしれないが、喘息持ちだったり、そもそも身体が弱かったりするので、記録を取ることが予防になったりするのである。

 

余談だが、かつてヨーロッパで猛威を振るったペストについて、「甘い(あまりよくない)匂いがする」という記述が多々ある。前兆というのは、色々なものにあるのかもしれない。

*1:麦粒腫もひどくなると切開する必要があったりするので侮れない。

*2:しばしば自分のストッパーを外してしまうので、「疲弊している」と気づけないことが多いのである。

2018年をカラオケ元年に……?

今週のお題「2018年の抱負」

 

2018年は、カラオケの年にしたい。

 

いや、仕事とかでも目標は立てさせられて一応提出したりしたが、趣味ではカラオケをしてみたいと思っている。

 

  • ひとりカラオケ
  • 普通の曲目を増やしたい
    • 十八番ない問題
    • アップテンポな曲がほしい
    • 洋楽(?)を覚えたい

 

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拝啓、5年後の私へ/2017年を振り返って

アンジェラ・アキの『手紙』という曲がある。

 

この曲は、NHK合唱音楽コンクール(いわゆるNコン)の2008年度の中学生の部の課題曲で、15歳の「私」が大人の「私」に手紙を書き、それに大人の「私」が答える、という内容である。当時の私は勝手に15歳が25歳に手紙を出しているものと思っていたが、この辺りは人によって違うだろう。

2008年、私はちょうど15歳(になる年)で、しかも合唱部だったので、中学時代最後の夏をこの曲に捧げていた。

15歳というのは多感な時期だ。そうでなくてもローティーンとハイティーンの境目という嵐のような年頃だし、加えて2008年の私がそうであったように、多くの人にとって、高校受験の壁がのしかかる時でもある。15歳から20歳への5年間は多くの場合、10歳から15歳までの5年間よりも、大きな困難と飛躍が待ち受ける。

 

2008年に15歳だったというところからお分かりの通り、私はもう15歳はおろか20歳も過ぎてしまったのだが、わけあって来年からの5年間を、"観察"することになった。

全ては、これのためである。

 

ほぼ日5年手帳

ほぼ日5年手帳

 

 

私はほぼ日のひそかな愛用者なのでつい手を出してしまったが、改めて5年間を記録するとなると、結構重大なことのように思えてくる。

 

というわけで、5年間を手帳で観察すること――というテーマで書こうと思ったが、書いているうちに何故か2017年の回想みたいな内容になったので、ビジネスメールは「1通につきひとつの用件のみ」を徹底しろという原則があるが、その両方をひとつの記事にまとめて書こうと思う。

 

 

"1年間"という長さについて

例えば手帳の最後のページには、当然のこととして名前や住所を記入する欄があるが、血液型や生年月日はともかく、この5年間の間に住所は勿論、苗字が変わる可能性だって無くはない。

 

1年先の未来だって、想像することは難しい。昔は、就職さえしてしまえば安泰だと思っていたが、2016年の春に大学を卒業した後、まだ2年弱しか経っていないのに、実は私はもう転職していて、今の会社は2社目である。

しかもこれも不思議な話で、積極的な理由での転職ではなかったので、前の会社を辞めた時は、てっきりこのままいわゆる非正規雇用になるのだろうと覚悟していたし、それでも構わないとも思っていたが、ありがたいことに今も正社員で、しかも前の会社より給料も上がった。

震える手で辞表を書いたり、職業安定所に通ったり、とにかくこんなことになるとは、大学を卒業した時は勿論、去年の今頃だって想像していなかったが、なんとかやれている。しかし、こんなことがあったので、来年の冬、自分がどこで何をやっているか予想したりすることは諦めている。

 

その5倍ともなれば、本当に何があるか分からない。生まれてこのかた、留学した時以外ずっと実家暮らしだが、住み慣れた家を離れているかもしれないし、子供がいるかもしれない。逆に今度こそ職を失い、河川敷に段ボールを敷いて暮らしている可能性もある(それでもこの手帳を書き続けているとしたら、それはそれで大した根性だと自分を褒めてやりたい)。あるいは天災が襲うかもしれないし、逆に大富豪になっているかもしれない。

この1年で多くを失い、また多くを得た身としては、とにかく何があるかわからないぞとしか言えない。

とにかく、25歳から30歳までというこの5年も、観測の価値があるだろう。それは間違いない。

 

何を観察するか

それにしても、次の問題は、「何を書くか」ということである。左ページに限って言うと、2月29日以外は、文庫本サイズの1/5のスペースしかないので、書けることは少ない。しかも私は日記を書いているので、別にそういったことを書く必要はない。

 

この点については、後に変わるかもしれない(そしてその変化もまた意味のあるものだと思っている)が、今のところはとりあえず、

  • 当日が祝日か(祝日ならその名称)
  • その日私の身にあった出来事
  • その日、個人的に気になったニュース
  • 財産総額

の4点に絞ろうと思っている。

 

祝日

5年手帳には、祝日が一切書かれていない。これは、特にこの5年の間に天皇誕生日の扱いや即位礼のことなど、2017年現在には予測が難しいことが多いからだろう。特に、天皇誕生日は12月23日から2月23日に変わる。

このあたりも記録したら面白いのではないだろうかと思ったりしたし、むしろ記録しておかないと、後々読み返して、例えば2018年の2月23日とかに、「なんでこの日会社に行っているんだ?」なんてことになりかねない。

 

私の身に起きた出来事

要は日記パートである。その時大事だと思ったことでも、1年後には忘れているなんてことはままあるので、1行にまとめて記録しておきたい。

 

個人的に気になったニュース

大切なのは「個人的に気になった」というところである。この手帳は別に公的な編纂物ではないので、恣意的であって構わない。政治のことでもいいし、例えば今年は図らずもひとつの球団を追いかけていたので、来年以降も追いかけていけば、かつてエースと呼ばれていた選手が花形になったり、あるいはほかの球団で活躍していた選手が味方になったり……なんて時間の経過を見られるかもしれない。とりあえず今はムネリンの契約更新が気になる。

 

財産総額

今年のある時期、私の全財産はぎりぎり5桁だった。この「ぎりぎり」というのは9万円という意味ではない。奨学金の返済を一時的に停止できないかJASSOにお願いしようか悩む方の「ぎりぎり5桁」である*1

それが今はありがたいことに、全部かき集めればバイクぐらいは買える額になっているし、今後とも激減する予定はない。

そういうわけで、そうした変動を見る楽しみという意味で、これもどうかと思って加えてみた。さらに言えば、5年あれば多少の物価の変動もあるかもしれないし、これが週間化できれば、最近週末にまとめてやっている家計簿の管理も毎日やるようになるかもしれない。

 

5年間、支えにしたいことば

よく考えるとほぼ日の手帳に限ったことではないが、特にほぼ日の手帳では、表紙の空白が目立つ。毎年使っているほぼ日手帳の場合、ここに何かキャッチーなフレーズを書いたこともあったが、最近は空白のまま使っている。

しかし、この5年手帳は、ある言葉を先に書いてしまおうか悩んでいる。それは、この2017年の6月のあの日から、頭を離れない言葉でもある。

 

「なりたい自分になる」

 

うまい説明が浮かばないというか、私がどう説明しようにもうまい説明になりそうにないので、出典については検索していただきたい。

 

今年、ひとり、美しい人が亡くなった。

今年、自分の身の回りで起きたことを除くと、一番大きなニュースが彼女の訃報だった。表立って誰かに話すことはなかったが、私は彼女を応援していた。

あの頃、私は再就職の準備をしていたのだが、その日の午後は何も手につかなかった。そして、忘れもしないあの金曜日の昼、その訃報に接し、最初に思い出した言葉がこれだった。

 

語れば語るほどこの言葉の持つ輝きが消えてしまう気がすることもあって、なかなかうまい言葉が浮かばないのだが、とにかくこの言葉の持つ意味の重さを考えた時、我が身にはとても畏れ多く、だからこそ今のところ手帳にも書けていないのだが――この言葉に適うような、そんな5年間を過ごしたいと、強く思っている。

 

 

そういうわけで、色々あった2017年が終わり、新たな5年間が始まる。日本に限っても、元号が変わり、東京オリンピックがやってくる。2021年には、3.11から10年を迎える。

 

それにしても。

書いていて思ったのだが、『手紙』の夏からもう10年とは……。私も年をとるはずである。うん。

*1:まあ、奨学金の返済とて(私はおそらくかなり少ないほうだが)月に1万円以上持っていかれているので、手持ちが10万円未満というのもあまり喜ばしくはないが……。

今週のお題「私の心を癒してくれるもの」

今週のお題「私の癒やし」

 

実を言うと今はまだ「癒し」を見つけていないのだが、最近気づいたのは、肉体的な疲労と精神的な疲労は、相関関係にあるが、必ずしも同一ではないということである。

私は今、頭脳労働の比率が高い仕事をしているのだが、体力を使い果たしたような気がしたのでひたすら寝るだけにした週末と、趣味の博物館めぐりという、体力的にはそれなりにハードなことをした週末とでは、後者の方が翌週に疲労を持ち越さなかった、ということがあった。

 

具体的に私の癒しというと、おいしいものを食べたり、あるいは今のように文章を書いたりすることだろうか。文章を書くということについては、文章を書くこと自体好きだし、実はタイピングという行為も好きなので、二重の意味で好きである。

 

昔は、人に読んでもらう文章を書いてもらうなんて大した苦行だと思っていたのだが、今ははっきり言って、自分のために文章を書いている節もある。勿論公開する文章には責任も伴うが、喜びもある。

そういうわけで、こんな駄文を読んでくれている"あなた"の存在が、私の「癒し」なのかもしれない。いつもありがとうございます。

いざゆけ若鷹

半年ぶりの更新になる。

空白期間ができてしまった理由は、転職とかをしていたからなのだが、なんとか私も社会人という戦列に復帰した。

 

さて。

今年、ソフトバンクホークス川崎宗則選手が帰ってきた。彼の話は以前もしたような気がするが、実は私より家族が彼の大ファンで、それまで野球なんて興味がなかったというのに、5月あたりから突然毎試合ソフトバンク*1を観始めた。

そして今日、ソフトバンク日本シリーズへの切符を手にした。

ご存知の方もいると思うが、今日クライマックスシリーズを制したソフトバンクに、今のところ川崎選手の姿はない。恐らく来季にはまた元気な姿を見せてくれると信じているが、私としては川崎選手が一軍登録を外れた段階で家族はてっきり野球を観るのをやめると思っていただけに、今日まで全試合を追いかけたのは意外だった。どうも家族は、約半年間追いかけているうちに、今宮選手とか、岩嵜選手とか、他の選手にも興味がわいたらしい。

「家族は」なんて言ってしまったあたりでお分かりのように、実は私のソフトバンク熱は、家族程のものではない。だが今日、思うことがあった。上林誠知選手のことである。

 

もともと川崎選手を追いかけて試合を観始めた我が家にとって、51というのは神聖な数字だ。家族が川崎選手のファンになったのも、あの渡米する際の記者会見が原因だった。男が男に惚れて海を渡るというのだから、確かに大した話である。

そんな"聖なる数字"、51番を背負う上林選手を最初に観たときの家族の印象は、はっきり言ってかなり悪かったようだ。確かに、川崎選手みたいなタイプのファンなのだから、彼のような、一見いかにも感情の薄そうな現代っ子を好きになるはずがない。今でこそこんなことを言っているが、私としても、正直なところあまり良い印象は持っていなかったかもしれない。しいて言えば、私と彼は年がかなり近い。私のほうがいささか年上だが、ほぼ同世代なので、そういう意味では、「こういう奴、いるよな」といったタイプの親近感は沸いていた。

 

そんな上林選手も、今季を通して大きく成長したように見える。

印象に残っているのはオールスターゲームの時の笑顔だが、内面では本当に色々なことがあったに違いない。今年は彼にとって大躍進の年だったし、そうでなくても、彼や私のような20代前半というのは、思春期程ではないにせよ、かなり多感な時期なのだから。

 

そんな彼が今日の試合後に見せた涙を観て、同じ20代として、思わずはっとしてしまった。

 

涙の理由はおそらく、日本シリーズへの進出が決まって嬉しいからではないだろう。今日、彼は登録を抹消されている。それに嬉し涙だったら、ああいう泣き方はしないという泣き方だったのだ。彼はおそらく――悔しいのだろう。

若いとはいえ、大の男が悔しいから泣くなんて、そうあることではない。どうも家族としては、何ら興味の惹かれる光景ではなかったらしいが、一緒にテレビを見ていて、私はふと、我が身を振り返っていた。

 

そういえば私は、最近涙が出る程悔しいと思ったことはあっただろうか?

 

悔しいというのは、不当に扱われたと思っているか、あるいは自分に可能性があると信じているから起きる感情だ。そしてこの場合、該当するのは後者だろう。

ああいう悔し涙を流せるのは、現状に満足せず、かつ目標に向かって一生懸命取り組んだ人だけだ。

自分には成長の伸びしろ、あるいは無限の可能性があって、でもそれを100%開花できていないもどかしさ。努力が実らなかった時の、あの胸の底が焼けるような気持ち。そんな感情を、ここ最近私は味わっていないのではないだろうか。

 

そう考えて思い出したのは、中学時代のある光景である。

私は弱小合唱部のパートリーダーだった。常に部員不足に悩まされていたのだが、それでも一生懸命練習して、3年の時は、例年であれば予選落ちしているあるコンクールの本選に進出した。結果は本選敗退だったのだが、ここ3年で最も良い成績だったので、晴れやかな気分で引退できた――はずだった。

コンクールの会場であるホールを出ると、同じく本選敗退という結果に終わった別の学校の生徒が大泣きをしていた。彼らは常連校で、普段であればさらに先へ進むこともあるような、雲の上の合唱団である。それが、こんな結果に終わってしまって、悔しかったのだろう。

本選進出という名誉だけで大満足で、その先のことなど一切考えなかった我々と、あくまでそれは通過点という気分だった(であろう)彼ら。結局は同じ結果に終わったのだが、こんなにも差があるのかと、よりによって引退するその日に思い知らされた。

 

悔し涙を流す人は、きっと志が高い。

私はここ最近、本気で何かを望んで、そのために一生懸命努力したりしただろうか? ソフトバンクホークスという常勝集団に所属し、かつオールスターゲームに選ばれる程の実力あるプロ野球選手と、こんなどうしようもない一介の会社員を比較するのがそもそも間違っているが、私も上林選手も、平成生まれの、そして同じ20代の若者であることに変わりはない。

自分の人生はこんなものだと見切りをつけるには、まだ若すぎるのではないだろうか。

 

だからと言って別に私は、突然今の仕事を辞めたりする気はない。せっかくこのご時世に転職できたのだ。現状維持というのも、聞こえは悪いがとても大切なことである。

だがほんの少しだけ、上を目指してみることを思い出さなくてはならないような気がする。与えられた環境で、私は悔し涙を流せるような、強烈な努力をしなくてはいけない。

 

来年、きっと上林選手はもっと躍進するだろう。

昔ながらの人は、ああして人前で泣くような男は信用できないかもしれないが、涙するほどの強い感情があるのだ。彼はきっと、来年もっと成長するものと信じている。

そういうわけで私も、負けていられないなと思った次第である。

*1:偶然我が家は以前からCS放送と契約していたのも、野球を観るという環境ができる要因だった。