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MATHOM-HOUSE presented by いもたこ

気になったことを色々と。ジャンルも色々。

栄光の果て、または2011年の話

ふと、思い出したので。

 

 

Lady Gagaの『The Edge of Glory』という曲がある。

リリースは2011年5月。洋楽も邦楽もそれほど詳しくない私だが、この曲には特別な思い入れがあって、この季節になると、よく聴いている。

 

私がLady Gagaを知ったのは、丁度東日本大震災の直後、彼女が日本への支援を表明して来日した頃だった。私は当時受験生になろうという年で、震災の日は春休みだったのでひとりで家にいた。

咄嗟に炬燵に潜ったものの、ものが崩れ落ちてきて中に閉じ込められてしまい、ふと死を覚悟したのを覚えている。だが結果的には、家も家族も失わなかった。

私は生き残った。

 

そんな中で、最初に聞いた彼女の曲は御多分に漏れず『Born This Way』だった。だが不思議と『The Edge of Glory』に惹かれていった。

 

2011年は私にとって激動の年だった。勿論、震災の影響も非常に大きい。校舎も被害を受けたし、長らく地震酔いに苦しめられた。

だがそれだけではなく、2011年の私は受験生として、将来を考えなくてはならなかった。

 

春が過ぎて、夏がやってきた。

夏休みが近づいたある日、田舎の祖父が急逝したという知らせが入った。

 

予備校を休んで飛び乗った電車の中で、『The Edge of Glory』を聴いていた。こんな悲しい日なのに、私は何故こんな曲を聴いているのだろうと思った。

これは後で知ったのだが、この曲は彼女が祖父を喪ったときの気持ちを歌ったものだったらしい。その話を聞いて、にわかに彼女に親近感がわいた。

 

秋が来て、冬が来ても、私の学力は全然伸びなかった。希望する道を諦めざるを得ないのだろうかと絶望して、泣いた日もあったように思う。

大晦日の日も勉強していた記憶がある。先が見えない日が、ずっと続いた。予備校でも散々先生と話し合った。冬の夜は長い。ずっと暗い気分だった。

 

それからまた春が来て、私は結局、志望したともしていないとも言えないような、まあ妥協したと言えるような大学に進学した。

結果的には良い大学生活だったが、栄光の果てとは程遠い気分だった。人生そんなものなのだとは思わなかったが、思ったようにはいかないんだなあと思ったのは覚えている。

図らずも私は生き残り、祖父の死に際には会えず、劇的な逆転劇で受験を終わらせることはできなかった。だが、毎日は淡々と過ぎていく。

 

思えばあれからもう6年が経った。縁があってマンハッタンのJOANNE Trattoriaを訪れたこともある。熱烈なファンとは言えないが、今でもLady Gagaは好きだ。

 

いくつか刺激的な出来事もあったが、生き残った私の人生は淡々と続く。

だが、あの曲を聴くたびに、2011年のあの混沌のただなかにいた、17歳の自分を思い出すのだ。

特別お題「おもいでのケータイ」

特別お題「おもいでのケータイ」

 

――狭い階段を、軽快な音と共に跳ね落ちていく携帯電話を見つめながら、松葉杖の私は情けない声を出すことしかできなかった。

 

auの企画でこれはどうなのかという話にはなるが、私のおもいでのケータイは、綺麗なトルコブルーをしたsoftbankのPANTONEである(勿論、現行モデルではない)。というのも、これが私が最初に手に入れたケータイであり、そして唯一のガラケーだったからだ。

 

私がPANTONEを購入したのは2007年の12月だった。翌月に学習塾への入塾が決まり、連絡手段が必要だったからだ。確か本当は黒か何かが欲しかったのだが、田舎の店舗だったということもあり、トルコブルー(という名前だったかはよく覚えていない)しか在庫がないと言われたので、否応なしにその色を選んだ。パスロック機能もついていない、質素な機種だった。

クラスでは、携帯電話を持ったのは遅い方だったと記憶している。

 

そして翌年の夏、事件は起きた。

 

きっかけは、初夏に私が(当時受験生だったにも関わらず)部活中の事故で足を骨折して松葉杖になったことからだった。文化部所属だったのだが、遠征先で階段から転落したのである。

とはいえ受験生の夏は天王山である。部活動は湿布とギプスで持ちこたえ、塾は松葉杖で通った。塾の階段は狭く急だったということもあって、仲間や先生に荷物を持ってもらったり、時にはおんぶしてもらいながらなんとか通っていた。

そんなある日の帰り、松葉杖にも慣れてしまった私は、いつものように松葉杖で階段を降りながら携帯電話をかけるという暴挙に出た。これはやってみれば分かるが、松葉杖を脇に挟めば不可能ではない。

そして――お察しの通り私は見事にバランスを崩し、携帯電話と松葉杖を手放してしまった。

 

滑り落ちる松葉杖。そして、吹き飛ぶ携帯電話。

何度か階段上で跳ねながら、そのまま墜落していった。

 

できうる限り急いで追いかけると、携帯電話は閉じた状態で床に転がっていて、横にバッテリーの蓋が落ちていた。

 

携帯電話は無事だった。だが、バッテリーの蓋の爪を損傷したらしく、どう頑張っても閉じなくなってしまった。修理に出したいが、当時の私はお金がなかったので、仕方なくテープで蓋を固定することにした。情けないが、仕方がなかった。

 

そしてそれから、更に2年が経った。

 

松葉杖の受験生だった私は、高校2年の冬を迎えていた。テープで留めた携帯電話は結局そのままで、携帯電話の持ち込みが可能な学校に進学していたので、毎日私と一緒に通学していた。

そんな頑丈だった携帯電話が、修学旅行を1週間前に控えたある日、突然動かなくなったのである。

 

私は修学旅行では班長を3つか4つ兼任していた。もし、修学旅行中に壊れていたらと思うと、本当にぞっとする。

私は急いで新しい携帯電話――当時まだそれほど知名度のなかったiPhone――を買って修学旅行に出かけた。当時、クラスでスマホだったのは私を含めてふたりきりだった。

 

それから6年以上が経って、iPhoneももう3台目か4台目になる。相変わらず私は不器用なので、画面を割ってしまったこともある。

だが今でも、歴代すべてのiPhoneにトルコブルーのケースをつけているのは、頑固で偉大だった初代の名残、というわけである。

 

 

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ひとり旅のすすめ(国内限定)

私の大事な趣味のひとつがひとり旅なのだが、これを人に話すとだいたい変な顔をされる。恐らく友達がいないと思われていたり、向こう見ずな奴だと思われていたりするからだろう。

実を言うと後者は否定出来ない部分もあるが、前者については、他人と一緒に旅をしたことも何度かあると声を大にして否定させていただきたい。だが私はひとり旅が好きだ。「ひとり旅とそうでない旅とどちらが好きか」と訊かれることがあるが、それは「肉じゃがとチョコミントアイスのどちらが美味しいか」という質問と同じで、そもそも意味をなさないと考えている。

 

そんな私にとって最大のひとり旅は、4泊5日の大学の卒業旅行であった。誤解のないように先に言っておくが、私は卒業旅行を3回やっていて、そのうち2回(いずれも1泊2日)は他人と一緒だった。

で、実は来週、暇ができたのでまた2泊3日のひとり旅に出かけるつもりである。

というわけで、卒業旅行のシーズンは過ぎてしまったかもしれないが、ひとり旅のやり方について書いておきたい。但し国内限定である。というのも、海外に行ったことがないわけではないのだが、ひとり旅という意味ではやったことがまだないからである。

 

目的地

個人的には、移動日以外は大きな目的地をふたつ用意しておくことにしている。これは例えば、東京であればスカイツリー江戸東京博物館だったり、札幌であればテレビ塔と時計台だったり、いわゆる観光名所と言うと分かりやすいだろう。

何故ふたつなのかというと、理由は以下の通りである。

  1. 片方ががっかり(もしくはもっと運が悪いと閉館していたりするかもしれない)するような内容だったとしても、ふたつあればどちらかは"当たり"の可能性が高いからである。碌なものを見られず1日無駄にしてしまったとなると流石に落ち込む。
  2. ふたつ用意しておいて午前と午後に配置するとバランスが良くなる。あまり詰め込み過ぎてしまうと、ひとつのものにかける時間が短くなってしまって勿体ない。
  3. 観光名所のそばには食料調達の場(端的に言うとレストランの部類)や観光客向けのサービス(観光案内や地図)などがあったりして便利である。また、観光名所の近所の人たちはだいたい観光客に慣れているので、迷子になった時も安心である。

 

予約

目的地が決まったら、旅行前に先に決めておきたいのは、予約が必要かどうかという点である。これは、目的地そのもの以外にも、移動手段ホテルについてもいえることである。

基本的に予約も自分でやってしまった方が手軽だが、飛行機移動に関しては予約の枠を旅行会社が持っていることや、お得なパックがあることもあるので、HISやJTBといったところを利用してみたり、ネットで検索してみるのも良いかもしれない。

この時、大切なのは、相当納得のいくものが見つからない限り、即決せず相見積もりをとってみることである。例えばHISはJALの取り扱いがないが、JALを使った方がもっと良い旅になるかもしれないし、マイルが溜まるかもしれない。そう考えたら、HISとJTBと、両方行ってみるべきである。

但し、予約はさっさと埋まってしまうということをお忘れなく。この辺りは常に時間との勝負である。

ところで、ホテルや移動手段については、どのクラスで妥協するかというのも大切である。私は貧乏性なので、ビジネスホテルを使ってしまうことが多い。ただ、ビジネスホテルの場合、立地を注意しておかないと痛い目を見ることになるかもしれない。

 

なんとなく情報収集

ホテルが決まったら、目的地付近で気になるスポットを調べてみる。この時大切なのは、オープン時間と曜日である。例えば博物館の場合、基本的に月曜日は休みなので、そのあたりは注意をする必要がある。

それと、食事だけは注意しておきたい。少なくとも、どこに繁華街があるかだけでも理解しておけば、何も食べられないという心配はなくなるだろう。ホテルにレストランがあれば尚良いが、だいたい高い。

 

地図を描く

そこまでできたら、真っ白な紙(チラシの裏で十分である)に地図を描いて、立地を簡単に把握しておこう。

例えば京都市内のような、ある程度外を歩くのが楽しめる街であれば、行政区の位置とホテル及びホテルの最寄り駅、行きたい場所がそれぞれ何区にあるかの位置関係をざっくり書き込めばいいし、冬の札幌のように鉄道移動が基本になる待であれば、地下鉄とそれぞれの目的地及びホテルの目的地を書いておけばいい(この場合、方角はあまり意識する必要はない)。なんとなく位置関係が分かれば、あとで迷子になる可能性はぐんと下がる。

この時、描くのはざっくりした地図で十分である。例えば東京は地下鉄がとんでもないことになっているので、全部描くだけ無駄である。

 

荷造り

いよいよ荷造りである。個人的に、以下の物は持って行った方が良いように思う。ただし、都会であればあるほど、旅先でものを揃えることができるので、足りないものは現地で買って、代わりにそのための現金の比重を高めにするという手もある。

  • 現金。田舎ではクレジットカードが使えないことが思いのほか多いし、ATMもないかもしれない。持ち運びには十分注意すること。神社仏閣に参拝する場合はお賽銭用の小銭があると尚良い。
  • 携帯電話。地図アプリや路線アプリは困ったときの味方である。
  • 旅行ガイドもしくは情報を書き込んだ手帳。大きいものである必要はないが、アナログ機器は携帯電話が使えない場合の強い味方になる。
  • 小さい鞄。夜中に飲み物を買う時などに重宝する。
  • 食料(少なくとも1食分)。おにぎり、カロリーメイトウイダーインゼリー、お菓子など。迷子になって食事がとれなくなっても安心である。
  • ペットボトルなど水分。自販機があるのは都会だけである。特に夏は脱水症状になりやすい。
  • 音楽プレイヤー。ひとり旅の場合、移動中はどうしても暇になる。また、(これは私だけかもしれないが)やたら人に声をかけられやすくなる。億劫ならイヤホンを耳にさしておけば、基本的に他人から声をかけられることはなくなる。
  • 暇つぶしアイテム。本やゲーム機など。おすすめは文庫本。
  • モバイルバッテリー。ふたつあると尚良い。地図アプリを起動しながら歩く場合、思いのほか電気を食う。
  • ポケットWi-Fi。同上。
  • たこ足配線用のタップ。万が一ホテルでコンセントがひとつしかない時も安心である。
  • 薬。薬局があっても普段服用している薬がないなんてことはよくある。歩き疲れた時のために湿布があると尚良い。

また、長旅の場合はコインランドリーのあるホテルを選び、服を洗いながら旅をするというのも手だろう。荷物は少ないに越したことはない。

 

旅先で

ここまで揃ったらいよいよ出発である。

ひとり旅の良さはその身軽さにある。最初に決めた目的地を目指しながら、寄り道を楽しもう。

 

とまあ、こんな感じでいつもひとり旅を計画している次第である。

【今週のお題】「カラオケの十八番」

今週のお題「カラオケの十八番」

 

私が大学3年の丁度今頃、私は1年上の、ある男性の先輩と一緒にカラオケに行った。

先輩は私の当時の交友関係の中では特異な人だった。周囲がカシオレだのビールだのを飲む中、ワインや日本酒の嗜み方を知っていたし、何より数少ない喫煙者だった。しかも、普段は「俺は貧乏だから」とよくある煙草を吸うのだが、本当は葉巻を愛する、およそ大学生とは思えない男だった。しかも多趣味で、ハードボイルドな雰囲気があるのだが、もし私が「ハードボイルドですね」などと言おうものなら、「食うか?」とか言って固ゆで卵を差し出してくれそうな茶目っ気もあった。

そんな先輩だが、如何せん小柄で、身長は女の私と同じぐらいしかない。そういうわけで、その雰囲気な割には声がやや高かった。

 

一方、私はと言えば、実はカラオケにはそれなりの自信があった。ある時期声楽をやっていたこともあって、十八番こそないものの、ある程度の範囲であればまあぼちぼち歌うぐらいの歌唱力はある――と思っていたのだ。その日までは。

 

先輩が選曲したのは、映画『紅の豚』でおなじみ、加藤登紀子の『時には昔の話を』である。丁度このくらいが先輩の音域にぴったりらしく、普通にうまい。うまいのだが、ただうまいのではなく、魂を揺さぶるものがあった。「そうだね」という歌詞から、たまらない哀愁と、言葉に出来ない何かが漂うのである。そこで初めて私は気づいた。

思えば、そろそろ先輩は卒業する。この曲を選んだのは、そろそろ別れの季節が近いからではないだろうか。たまらない哀愁が漂うのも当然で、この曲は先輩そのものを表しているのではなかろうか。そんなことを考えながら聞きほれた。本当にうまかった。

そのあと、「お前の番だぞ」とマイクを渡されたが、あれだけのものを聞かされた後、何を歌っていいのか悩んだ。結局、サラ・ブライトマンの『Stand Alone』を選んだのを覚えている。

その翌月に、先輩は大学を卒業して、郷里に帰った。それっきり私は彼に会っていない。

 

それからというもの、私はなんとかあの曲を十八番にしようと練習を始めた。そもそも『Stand Alone』が持ち歌なぐらいのソプラノなので、音域的に厳しいという部分もあるのだが、それ以前にいくら練習しても、先輩みたいに歌える気はしない。気はしないのだが、それでも練習をしている。

 

というわけで、『時には昔の話を』をなんとか十八番にしようと、ここ数年、奮闘しているのである。先は長そうである。

【今週のお題】「卒業」

今週のお題「卒業」

 

何よりもまず、花粉症を卒業したい。

 

大学を卒業して1年になる。私の大学生活はやや不本意な形で始まった感は否めなかったが、4年後には満足して卒業することができた。

受験生はそろそろ結果が出るころだろうか。私は高校も大学も、行きたいところにはかすりもしなかった。それでも、(ある意味では妥協なのかもしれないが)それなりに楽しい学生生活を送ることができた。気落ちしている人も多いだろうが、満足度というのは必ずしも志望校に合格したかどうかで決まるものではないと思っている。

 

だが卒業して1年。本当に私の大学生活は正しかったのかと今更になって不安になっている。というのも、私の周囲を見ていても、学校で学んだことの真価が問われるのは、もっとずっと後のことなのではないかと考えることが最近多いからである。

ここで言う「学んだこと」とは学問とは限らない。通学、交友関係、アルバイト、ボランティア、留学、サークルなど全てがそうであり、また、それらをするかしないかという「選択」も含まれる。今になって思うと、私の大学生活は楽しかったが、選択肢はもっと色々あったような気もしないでもないのである。

 

そうやって考えると、卒業というのは、結婚がそうでないように、物事の終わりではないように思う。高校は中学で学んだことの実践の場だったし、大学は高校で学んだことの実践の場だった。

そうやって考えると、大学を卒業した今こそ、大学で学んだことの実践の場であって、卒業というのはひとつの通過点でしかないのではないだろうか、と思わないでもないのである。考えすぎだろうか。

和田英松『新訂 官職要解』(講談社学術文庫,1983年)

 

新訂 官職要解 (講談社学術文庫)

新訂 官職要解 (講談社学術文庫)

 

 

先生が唯一「買え」と言った本

予備校に通っていた頃、尊敬していた先生がある日、妙なことを言った。

 「大学の教科書は全部買う必要なんてないからね。べらぼうに高いモノを一方的に売りつけるのが先生たちの副業みたいなものだから。1冊で5桁とか吹っ飛ぶのよ」

先生は都内の某有名私大のご出身で、その中でも学業成績はかなり優秀な方だった。そんな人がこんなことを言うのだから、大学に入ったら教科書に用心しなければならないなというのは、大学入学前からずっと感じていた。

月日は過ぎ、恩師と同じ大学に進学することは叶わなかったが、私も彼と同じ専攻に進んだ。さて、どんな教科書を売りつけてくるだろう。――恐ろしくもあり、ちょっと楽しみにすら感じながら、私は大学に入学した。

 

唯一はっきりと専攻の先生に「買わされた」と言える本がこの一冊である*1。税抜1350円。文庫だと考えるとかなり高いが、少なくとも想像していたよりかはずっと安かった。ちなみにこの本ですら、先生が強く推奨しただけで、全員が買ったわけではない。

 「この講義ではこの本はあまり使わない。でも4年間の中で、歴史学にかかわるならきっと必要になる。買うべきだと思う」

それがその先生の言葉だった。そしてそれは成程、真実だった。

 

『官職要解』と私

この本そのものの知名度は"界隈では"非常に高い。どのくらい高いかというと、Wikipediaに記事があるぐらいである*2

初版は明治35年(1902)、この本が底本にしているのは大正15年(1926)版であるから、内容的には90年も前のものということになる。そもそもこの講談社学術文庫版自体、昭和58年(1983)の出版なので、結構なロングセラーということになる。

 

著書名にある通り、主に官職について、豊富な出典を用いながら要解しているのがこの本である。対象は著者が緒言の冒頭で述べているが、少し引くと、

国史を学ぶには、昔の官職のありさまを知らねばならぬのはもちろんのことであるが、国文を学ぶにも、官職の大体を心得ておく必要があるのは、いうまでもないことある。 (p. 3)

ということで、当時の私のように日本史学を学ぶ者や、日本文学を学ぶ者向けということが分かる。

 

私が最初にこの本を読むきっかけになったのは、史料読解で官職名が読めないせいだった。例えば掃部介は「かもんのすけ」と読むのだが、そのあたりが怪しく、何だかわからない百官名が出てくるたびに引いたものである。

それがそのうち、別の意味でひやりとさせられることが増えてきた。例えば関東管領の説明には、「尊氏の次子基氏の子孫が代々この職を襲っていた。(p. 234)」とあるが、一般にこの説明で思いつくのは鎌倉公方(もしくは関東公方)であって、関東管領と言えば上杉氏が思いつくのではないだろうか。

これを更に読み進めると、ある時期に関東管領が公方になり、執事が関東管領と呼ばれるようになるというややこしいことが起きたのだということがわかる。これを知ることで、「関東管領」という文字を見たとき、少し慎重になれるのではないのだろうか。

 

そういうわけで、私は4年間、ずっとこの本を鞄に入れて通学していた。そういうわけで、正直擦り切れるほどに使い込んだわけではないのだが、いい感じに使用感が出てきて、なんだか長年連れ添った相棒みたいになってきたのである。

 

前近代人の前提知識

先述の通り、著者は同時代史料を豊富に提示しながら官職を説明している。

また逆説的に、この本の出典になっている史料を読むためには、この本の知識、すなわち官職への理解が前提条件となっている。

 

義務教育の導入は知識の均等化をもたらしたが、前近代の知識層においては、義務教育に近い漢籍や知識が存在していた。

彼らのことを知りたいのであれば、我々も彼らに倣って学ばなくてはいけない典籍類がたくさんあるのであろう。そんなことを思い出させてくれる1冊である。

*1:学生時代は色々な学問を少しずつかじっていたので、他の学問領域では実はこれ以外にも教科書はあったが、大学自体が良心的だったのか、「一度も開きもしない教科書」や「とても手が出ない本」は4年間で1冊もなかった。

*2:また、この本を取り上げた先達のはてなブログも多い。

マイブームはニッポニカ

よく趣味で歴史書を読むのだが、困ったことにあまり知識がないので、しばしば前提知識からして不安になる。

一般に、日本史のリファレンスとしては吉川弘文館国史大辞典が用いられることが多い。私も学生時代にはお世話になったのだが、学者でもないのにあれを家に置くのは難しいし、勿論我が家にもない。

そうなると、図書館で本を読むという話になるが、困ったことに近所に、国史大辞典やそれに類する規模の歴史辞書を置く図書館がない。かといって遠出するのは金銭的負担がかかるし、やる気を損ねるという話にもなる。

私の電子辞書にも定番中の定番であるブリタニカやマイペディア、吉川弘文館の日本史小辞典などは入っているが、しばしばその範疇を超えた語も出てきてしまっているのである。

かくなる上は、お手軽で知られるWikipediaというのもひとつの候補にはなる……が、その信憑性については言うまでもない。ちなみにジャパンナレッジはお金がないのでまだ導入していない。

 

そんなある日、偶然知らない単語を調べていたところ、コトバンク日本大百科全書(通称ニッポニカ)が引っ掛かった。

ニッポニカは小学館の大百科で、ジャパンナレッジにも収録されているのだが、10万語以上を収録し、買うと25万円にもなる*1。これが無料で使えるというのだから恐ろしい話である。1994年に完成しているので、最新の学説を追うという意味では苦しい点もあるかもしれないが、それを言ったら国史大辞典はもっと古い。

 

このニッポニカの素晴らしいところは、国史大辞典と同じように、項目毎の執筆者名が入っているのである。

例えば関東管領だった上杉憲実の項目は田辺久子氏が担当しているのだが、氏は人物叢書で『上杉憲実』を執筆した研究者であり、(正直日本史学以外はもっと詳しくないので何とも言えないが)適切な人選がされていると分かる。というか、そう信じたい。

 

最近私は、巷で大ブームになっている(?)呉座勇一氏の『応仁の乱』(中公新書、2016年)を読んでいるのだが、春日社白衣神人=国民(p. 9)という説明で早速、「国民」という語が引っ掛かり、調べてみたところ、

国民(日本史)

本来は国衙領の農民の意味であり、また中世期には住民のうち、とくに上層自営民をもさした。しかし、これらが南北朝時代から、さらに力を養うと、支配側の勢力に反抗する者として現れてくる。大和国奈良県)においては平安朝以来、興福寺が大和一円の領国化を図り、国内の有力名主を配下とし、春日社、興福寺末社・末寺を掌握して、彼らをその神主や住持とすることによって、勢力拡大を図ったが、これらの人々を国民とよび、一時代前からおもに北方大和にあって荘官・荘司の身分で法体となった衆徒と対称せられるに至った。(後略) [平井良朋]

という項目を発見した*2

 

個人的にはやはり国史大辞典にあたるなり、別の歴史書や論文を読むべきだろうとは思うのだが、まあ便利なものを見つけたものである。

*1:日本大百科全書 | ジャパンナレッジ

日本大百科全書(ニッポニカ)収録キーワード一覧 - コトバンク

*2:つまり、『応仁の乱』の時代には確かに白衣神人=国民という理解で間違いないが、前提条件として古代から「国民」はおり、むしろ「国民」が神主などにされた結果、白衣神人=国民という理解になった、ということが分かった。