MATHOM-HOUSE presented by いもたこ

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和田英松『新訂 官職要解』(講談社学術文庫,1983年)

 

新訂 官職要解 (講談社学術文庫)

新訂 官職要解 (講談社学術文庫)

 

 

先生が唯一「買え」と言った本

予備校に通っていた頃、尊敬していた先生がある日、妙なことを言った。

 「大学の教科書は全部買う必要なんてないからね。べらぼうに高いモノを一方的に売りつけるのが先生たちの副業みたいなものだから。1冊で5桁とか吹っ飛ぶのよ」

先生は都内の某有名私大のご出身で、その中でも学業成績はかなり優秀な方だった。そんな人がこんなことを言うのだから、大学に入ったら教科書に用心しなければならないなというのは、大学入学前からずっと感じていた。

月日は過ぎ、恩師と同じ大学に進学することは叶わなかったが、私も彼と同じ専攻に進んだ。さて、どんな教科書を売りつけてくるだろう。――恐ろしくもあり、ちょっと楽しみにすら感じながら、私は大学に入学した。

 

唯一はっきりと専攻の先生に「買わされた」と言える本がこの一冊である*1。税抜1350円。文庫だと考えるとかなり高いが、少なくとも想像していたよりかはずっと安かった。ちなみにこの本ですら、先生が強く推奨しただけで、全員が買ったわけではない。

 「この講義ではこの本はあまり使わない。でも4年間の中で、歴史学にかかわるならきっと必要になる。買うべきだと思う」

それがその先生の言葉だった。そしてそれは成程、真実だった。

 

『官職要解』と私

この本そのものの知名度は"界隈では"非常に高い。どのくらい高いかというと、Wikipediaに記事があるぐらいである*2

初版は明治35年(1902)、この本が底本にしているのは大正15年(1926)版であるから、内容的には90年も前のものということになる。そもそもこの講談社学術文庫版自体、昭和58年(1983)の出版なので、結構なロングセラーということになる。

 

著書名にある通り、主に官職について、豊富な出典を用いながら要解しているのがこの本である。対象は著者が緒言の冒頭で述べているが、少し引くと、

国史を学ぶには、昔の官職のありさまを知らねばならぬのはもちろんのことであるが、国文を学ぶにも、官職の大体を心得ておく必要があるのは、いうまでもないことある。 (p. 3)

ということで、当時の私のように日本史学を学ぶ者や、日本文学を学ぶ者向けということが分かる。

 

私が最初にこの本を読むきっかけになったのは、史料読解で官職名が読めないせいだった。例えば掃部介は「かもんのすけ」と読むのだが、そのあたりが怪しく、何だかわからない百官名が出てくるたびに引いたものである。

それがそのうち、別の意味でひやりとさせられることが増えてきた。例えば関東管領の説明には、「尊氏の次子基氏の子孫が代々この職を襲っていた。(p. 234)」とあるが、一般にこの説明で思いつくのは鎌倉公方(もしくは関東公方)であって、関東管領と言えば上杉氏が思いつくのではないだろうか。

これを更に読み進めると、ある時期に関東管領が公方になり、執事が関東管領と呼ばれるようになるというややこしいことが起きたのだということがわかる。これを知ることで、「関東管領」という文字を見たとき、少し慎重になれるのではないのだろうか。

 

そういうわけで、私は4年間、ずっとこの本を鞄に入れて通学していた。そういうわけで、正直擦り切れるほどに使い込んだわけではないのだが、いい感じに使用感が出てきて、なんだか長年連れ添った相棒みたいになってきたのである。

 

前近代人の前提知識

先述の通り、著者は同時代史料を豊富に提示しながら官職を説明している。

また逆説的に、この本の出典になっている史料を読むためには、この本の知識、すなわち官職への理解が前提条件となっている。

 

義務教育の導入は知識の均等化をもたらしたが、前近代の知識層においては、義務教育に近い漢籍や知識が存在していた。

彼らのことを知りたいのであれば、我々も彼らに倣って学ばなくてはいけない典籍類がたくさんあるのであろう。そんなことを思い出させてくれる1冊である。

*1:学生時代は色々な学問を少しずつかじっていたので、他の学問領域では実はこれ以外にも教科書はあったが、大学自体が良心的だったのか、「一度も開きもしない教科書」や「とても手が出ない本」は4年間で1冊もなかった。

*2:また、この本を取り上げた先達のはてなブログも多い。