MATHOM-HOUSE presented by いもたこ

気になったことを色々と。ジャンルも色々。

拝啓、5年後の私へ/2017年を振り返って

アンジェラ・アキの『手紙』という曲がある。

 

この曲は、NHK合唱音楽コンクール(いわゆるNコン)の2008年度の中学生の部の課題曲で、15歳の「私」が大人の「私」に手紙を書き、それに大人の「私」が答える、という内容である。当時の私は勝手に15歳が25歳に手紙を出しているものと思っていたが、この辺りは人によって違うだろう。

2008年、私はちょうど15歳(になる年)で、しかも合唱部だったので、中学時代最後の夏をこの曲に捧げていた。

15歳というのは多感な時期だ。そうでなくてもローティーンとハイティーンの境目という嵐のような年頃だし、加えて2008年の私がそうであったように、多くの人にとって、高校受験の壁がのしかかる時でもある。15歳から20歳への5年間は多くの場合、10歳から15歳までの5年間よりも、大きな困難と飛躍が待ち受ける。

 

2008年に15歳だったというところからお分かりの通り、私はもう15歳はおろか20歳も過ぎてしまったのだが、わけあって来年からの5年間を、"観察"することになった。

全ては、これのためである。

 

ほぼ日5年手帳

ほぼ日5年手帳

 

 

私はほぼ日のひそかな愛用者なのでつい手を出してしまったが、改めて5年間を記録するとなると、結構重大なことのように思えてくる。

 

というわけで、5年間を手帳で観察すること――というテーマで書こうと思ったが、書いているうちに何故か2017年の回想みたいな内容になったので、ビジネスメールは「1通につきひとつの用件のみ」を徹底しろという原則があるが、その両方をひとつの記事にまとめて書こうと思う。

 

 

"1年間"という長さについて

例えば手帳の最後のページには、当然のこととして名前や住所を記入する欄があるが、血液型や生年月日はともかく、この5年間の間に住所は勿論、苗字が変わる可能性だって無くはない。

 

1年先の未来だって、想像することは難しい。昔は、就職さえしてしまえば安泰だと思っていたが、2016年の春に大学を卒業した後、まだ2年弱しか経っていないのに、実は私はもう転職していて、今の会社は2社目である。

しかもこれも不思議な話で、積極的な理由での転職ではなかったので、前の会社を辞めた時は、てっきりこのままいわゆる非正規雇用になるのだろうと覚悟していたし、それでも構わないとも思っていたが、ありがたいことに今も正社員で、しかも前の会社より給料も上がった。

震える手で辞表を書いたり、職業安定所に通ったり、とにかくこんなことになるとは、大学を卒業した時は勿論、去年の今頃だって想像していなかったが、なんとかやれている。しかし、こんなことがあったので、来年の冬、自分がどこで何をやっているか予想したりすることは諦めている。

 

その5倍ともなれば、本当に何があるか分からない。生まれてこのかた、留学した時以外ずっと実家暮らしだが、住み慣れた家を離れているかもしれないし、子供がいるかもしれない。逆に今度こそ職を失い、河川敷に段ボールを敷いて暮らしている可能性もある(それでもこの手帳を書き続けているとしたら、それはそれで大した根性だと自分を褒めてやりたい)。あるいは天災が襲うかもしれないし、逆に大富豪になっているかもしれない。

この1年で多くを失い、また多くを得た身としては、とにかく何があるかわからないぞとしか言えない。

とにかく、25歳から30歳までというこの5年も、観測の価値があるだろう。それは間違いない。

 

何を観察するか

それにしても、次の問題は、「何を書くか」ということである。左ページに限って言うと、2月29日以外は、文庫本サイズの1/5のスペースしかないので、書けることは少ない。しかも私は日記を書いているので、別にそういったことを書く必要はない。

 

この点については、後に変わるかもしれない(そしてその変化もまた意味のあるものだと思っている)が、今のところはとりあえず、

  • 当日が祝日か(祝日ならその名称)
  • その日私の身にあった出来事
  • その日、個人的に気になったニュース
  • 財産総額

の4点に絞ろうと思っている。

 

祝日

5年手帳には、祝日が一切書かれていない。これは、特にこの5年の間に天皇誕生日の扱いや即位礼のことなど、2017年現在には予測が難しいことが多いからだろう。特に、天皇誕生日は12月23日から2月23日に変わる。

このあたりも記録したら面白いのではないだろうかと思ったりしたし、むしろ記録しておかないと、後々読み返して、例えば2018年の2月23日とかに、「なんでこの日会社に行っているんだ?」なんてことになりかねない。

 

私の身に起きた出来事

要は日記パートである。その時大事だと思ったことでも、1年後には忘れているなんてことはままあるので、1行にまとめて記録しておきたい。

 

個人的に気になったニュース

大切なのは「個人的に気になった」というところである。この手帳は別に公的な編纂物ではないので、恣意的であって構わない。政治のことでもいいし、例えば今年は図らずもひとつの球団を追いかけていたので、来年以降も追いかけていけば、かつてエースと呼ばれていた選手が花形になったり、あるいはほかの球団で活躍していた選手が味方になったり……なんて時間の経過を見られるかもしれない。とりあえず今はムネリンの契約更新が気になる。

 

財産総額

今年のある時期、私の全財産はぎりぎり5桁だった。この「ぎりぎり」というのは9万円という意味ではない。奨学金の返済を一時的に停止できないかJASSOにお願いしようか悩む方の「ぎりぎり5桁」である*1

それが今はありがたいことに、全部かき集めればバイクぐらいは買える額になっているし、今後とも激減する予定はない。

そういうわけで、そうした変動を見る楽しみという意味で、これもどうかと思って加えてみた。さらに言えば、5年あれば多少の物価の変動もあるかもしれないし、これが週間化できれば、最近週末にまとめてやっている家計簿の管理も毎日やるようになるかもしれない。

 

5年間、支えにしたいことば

よく考えるとほぼ日の手帳に限ったことではないが、特にほぼ日の手帳では、表紙の空白が目立つ。毎年使っているほぼ日手帳の場合、ここに何かキャッチーなフレーズを書いたこともあったが、最近は空白のまま使っている。

しかし、この5年手帳は、ある言葉を先に書いてしまおうか悩んでいる。それは、この2017年の6月のあの日から、頭を離れない言葉でもある。

 

「なりたい自分になる」

 

うまい説明が浮かばないというか、私がどう説明しようにもうまい説明になりそうにないので、出典については検索していただきたい。

 

今年、ひとり、美しい人が亡くなった。

今年、自分の身の回りで起きたことを除くと、一番大きなニュースが彼女の訃報だった。表立って誰かに話すことはなかったが、私は彼女を応援していた。

あの頃、私は再就職の準備をしていたのだが、その日の午後は何も手につかなかった。そして、忘れもしないあの金曜日の昼、その訃報に接し、最初に思い出した言葉がこれだった。

 

語れば語るほどこの言葉の持つ輝きが消えてしまう気がすることもあって、なかなかうまい言葉が浮かばないのだが、とにかくこの言葉の持つ意味の重さを考えた時、我が身にはとても畏れ多く、だからこそ今のところ手帳にも書けていないのだが――この言葉に適うような、そんな5年間を過ごしたいと、強く思っている。

 

 

そういうわけで、色々あった2017年が終わり、新たな5年間が始まる。日本に限っても、元号が変わり、東京オリンピックがやってくる。2021年には、3.11から10年を迎える。

 

それにしても。

書いていて思ったのだが、『手紙』の夏からもう10年とは……。私も年をとるはずである。うん。

*1:まあ、奨学金の返済とて(私はおそらくかなり少ないほうだが)月に1万円以上持っていかれているので、手持ちが10万円未満というのもあまり喜ばしくはないが……。