祈る人
目の前に、語弊を覚悟で言うと、いかにも秋葉原っぽい男性が歩いていた。中肉中背の30代の男性で、大きなリュックを背負い、戦利品が詰まっているらしい大きな紙袋を大事そうに抱えている。
どうもまだ買い足りないらしく、次の店を目指して歩いていたのだが――突然歩みを止めて、その紙袋を地面に置くと、静かに手を合わせて、祈った。
――はっとして、スマートフォンを見ると、時刻は14時46分を指していた。
男性はというと、黙祷を済ませると、何事もなかったかのようにまた歩き出した――。
7年前の同時刻、私は家の炬燵に閉じ込められて、「このまま死ぬのだろうか」とぼんやり考えていた*1。私の住む地域は直接的な被害はほとんどなかったが、あの日は確かに忘れることのできない1日になった――はずだった。物音に敏感になったのもあの日からだし、少々涙もろくなったのもあの日からだ。
そんな、忘れるはずがないと思っていたその日のことを、私は秋葉原の真ん中で、見事に忘却していたのである。
忘れないでいることは、時に痛みを伴う。
震災より後の話になるが、私は大学受験でいくつもの大学に落ち、就活は100社近く祈られ、しかも前向きではない理由で仕事を辞めている。求職者としてハローワークで順番を待っている時の、あの灰色の感情など、さっさと忘れてしまいたい。……というか、おそらく何割かは既に忘れてしまった。
しかし、痛みが伴うとしても、忘れてはいけないものもある。少なくとも私にとっては、震災はそのひとつだ。久しぶりに登校して、(正直それまであまり深い付き合いをしていたわけでもなかった)同級生の顔を見たときの安堵、余震が来るたびに、故郷が失われてしまうのではないかと感じたあの恐怖、そして17歳にしてやっと思い知った日常と呼ばれるものの儚さ――それら全てを、私は覚えておかなければならない。
記憶をとどめておく必要性と、それがもたらす痛み。
おそらく自分の享楽のために立ち寄った秋葉原の街で、真摯な祈りを捧げ、そしてまた歩き出したあの男性は、その答えを知っていたのではないだろうか。忘れないでいることと立ち止まることは同義ではない。
それにしても、私は牡蠣が好きなので、東北に行って牡蠣を食べたいと毎年考えているのだが、いつになったら実現するのだろう……。