MATHOM-HOUSE presented by いもたこ

気になったことを色々と。ジャンルも色々。

カレッジリング1周年

大学を卒業して、そろそろ1年になる。

1年前の今日、何をしていたのかと思い、日記を読んでみたところ、業者とカレッジリングの製作についてのやりとりをしている真っ最中だった。

 

きっかけは、大学入学前、大学見学の一環で訪れた某大学の生協である。結局その大学には進学しなかった(正しくは"できなかった")のだが、結構な伝統校だった。

その生協で、カレッジリングというものを初めて見たのである。

 

カレッジリングの説明はWikipediaに詳しい。アメリカ由来の文化で、向こうでは高校卒業の際にも製作するという*1

また、中世ヨーロッパでは博士号を取得した際、学問との婚姻という意味で金の指輪を授与されたという話を聞いたこともあるが、とにかく指輪は西洋世界では力の象徴らしい。こうした指輪という装飾品への文化的態度が『指輪物語』を生み出す土壌になったのだろう。

 

とにかく、学生時代にはごく短いながらもアメリカに留学したということもあって、まあまあ西洋かぶれだった私は、ある日本の業者にお願いして、カレッジリングを作ってもらうことにしたのである。費用は研究書10冊分ぐらいだった。

 

正直なところ、この1年、カレッジリングを嵌めてどこかへ行ったことはない。もともと指輪を嵌めるという柄でもないし、卒業後指が痩せてしまって、回るようになったからである。だがそれでも、この決して安くなかった買い物が無駄ではなかったという自信がある。それはひとえに、記念碑的な意味合いがあるからである。

 

思うに、日本人は学位、特に学士号に対する認識がいささか弱いように思う。そもそも学士が学位に加えられたのは最近のことだし、大学全入時代であるからしてそれも仕方がないことではあるが、卒業論文を書いてしまった私は、私の専門分野において、一般人よりいかばかりかでも専門家に近づいてしまった。

私の学位は英語で言うとB.A.*2と、よくありふれたものだが、一緒に刻んでもらった専攻名の英称を見る度に、「ちょっとはB.A.らしいことができているだろうか」と考えたりもするのである。

 

ところで、現在アメリカの大学院に留学中の友人がいるのだが、彼にclass ringを知っているかと聞いたところ、知らないらしい。最近のアメリカ人の間ではカレッジリング離れが進んでいるということだろうか?

*1:カレッジリングというのは和製英語で、正しくはclass ringというのだが、プログレッシブ英和中辞典ではこれを「(高校)卒業記念指輪」と訳している。

*2:Bachelor of Artsの略。要は文学部出身である。

【研究中】段落の誕生

出典が出せなくて恐縮だが、サイキンノワカモノはSNSだのブログだのばかり書いているせいで、段落で一字下げるということをしない、という批判を読んだ。

私はドーハの悲劇と同い年(つまり宇宙兄弟のムッタとタメ)なので、社会一般にはサイキンノワカモノに分類されるだろうし、SNSもそれなりに触れる機会があるが、確かに今書いているこの文章も一字下げをしていないので、言いたいことはわかる。

 

だが先日、恐らくサイキンノワカモノではないのに段落を下げていない文章を読んでしまった。

吉川弘文館から出た『足利学校の研究』という本なのだが、まさに今私が書いているこの文章のように、段落が下がっていないのである。

 

www.yoshikawa-k.co.jp

 

 

「増補新訂」の「新装版」という非常にややこしい本なのだが、初版は1945年なので、戦後すぐということになる。そうなると、段落の誕生は戦後ということになるのだろうか。言われてみれば、江戸時代の刊本には(私の知る限り)段落がない。

 

そもそも「段落」は、一文字下げることを語源としている。受験業界ではよく「意味段落」などという言葉があるので、段落は必ずしもその形式を守ったものというより、paragraphの訳語と理解してしまって構わないと考えられるが、今の形の段落の誕生は、「段落」の語の誕生と同時なのではないだろうか。